いやしの集い

東京アンテオケ教会 いやしの集いブログ

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救いを受ける祈り

天のお父様、私はあなたを信じます。

今まで信じなかったことを赦してください。

私の全ての罪を赦してください。

イエスキリストの十字架によって、全ての罪が、赦されたことを信じます。

私を神の子としてください。

イエス様、私の心の中に入ってください。

約束通り、私を神の子としてくださったことを感謝します。

私は、救われました。

私の主は、キリストです。

永遠のいのちが与えられました。

感謝いたします。

イエス様のお名前によってお祈りいたします。

アーメン

“人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”

ローマ人への手紙 10章10節

“私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、

また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、

それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の

兄弟たちに同時に現れました。

骨折のいやし

病院でこれは酷い!と言われた骨折💦始めに病院に行ってからギブスをするまで数日ありました。教会で自分で神様にいやしを祈りました。病院に行くと、レントゲンでははっきり折れている。しかし、痛みが一切無いのです。お医者さんも驚かれて奇蹟と言われました。

神様がいやしてくださっていました。

聖書の預言書に

イエスキリストの十字架について書いてあります。

“彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。”
イザヤ書 53章2~5節

十字架の愛

イエスキリストは、私達の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。私達が罪ゆるされる救われるために。あがないのために。永遠のいのちを受けるために。そして、十字架により、病のいやしの恵をも与えてくだいました。

クリスマスは

実は12月25日ではなく、聖書にもお祝いすることについても書いてありません。

いつお生まれになったかが重要なのではなく、イエスキリストが何のためにお生まれになったか?が重要なことなのです。

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