

東京アンテオケ教会 いやしの集いブログ
6時半です。いやしの集いスタート!
天のお父様、私はあなたを信じます。
今まで信じなかったことを赦してください。
私の全ての罪を赦してください。
イエスキリストの十字架によって、全ての罪が、赦されたことを信じます。
私を神の子としてください。
イエス様、私の心の中に入ってください。
約束通り、私を神の子としてくださったことを感謝します。
私は、救われました。
私の主は、キリストです。
永遠のいのちが与えられました。
感謝いたします。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。
アーメン
■“人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”
ローマ人への手紙 10章10節
■”私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、
それから十二弟子に現れたことです。
■”神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”
ヨハネの福音書 3章16節
“私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。”
イザヤ書 53章1~12節
53章を読んでいます。
サタンはいやしてもただではなく、必ず代償があるんです。
病の癒しを行われるのは、唯一 イエス・キリストだけです。
サタンは私達を永遠の滅びに落とすんです。
神様だけです、いやしをされるのは。
イエス・キリストご代価として、十字架につけられたのです。
この十字架がいやしの土台なのです。
無条件でなのです。
神様はいやしのみわざをなされますが、一方サタンは、偽り、神様の真似をします。よく見分けないとなりません。
イエスキリストは私達の救いのために十字架にかかってくださいました。この神様は真の神様です。 癒し主です。
イエスキリストの十字架がいやしの土台です。
小児麻痺がいやされた体験談。
生きた神様の働きを通して、深い神様の愛を感じた。
私はどんなに神様に愛されているかを感じた。
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