東京アンテオケ教会 いやしの集いブログ

投稿者: iyashi7 (56ページ目 (333ページ中))

イエスの元に来て、

下さい。

いやしと、病院の助けも受けながら、神の癒しを見て頂きたいと思います。

ここの牧師の息子さんの癒しの話です。

左右の脳が違う、脳の一部が壊死していたのです。

癒しを主が語って下さったので、

癒されました!! と、告白されていたわけです。

その後、見事に主は癒され 、運動神経抜群、能力は国立大学、大学院まで行かれて、今は一流企業でお勤めです。

十字架に掛かられたのは…

私達の罪のためです。

私達の罪の代わりに、イエスは十字架に掛けらた。

これがいやしの土台です。

私達はいやされます。

いやされないこともあります。

それはいやされないことで、主の栄光が現される為なのです。

癒されるという信仰を持って…

私達の信仰こそが、神の恵みを受けるポイントなのです。

祈り求めるものは、それを受けたと信じる信仰が大切です。

神の御心に叶う祈りならば、受けたと信じることが、とても重要なんです。

それは成ったと受け止めることが大切。

メッセージ

“イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、
言った。「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」
イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。
と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」
イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。”
マタイの福音書 8章5~10節
聖書

“それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。”
マタイの福音書 8章13節
聖書

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