
イエスキリストを信じ受け入れる祈りを共に。
東京アンテオケ教会 いやしの集いブログ
イエスキリストを信じ受け入れる祈りを共に。
神様がいやしてくださった証
お医者様が絶対に治らないと言われた膵臓炎、そして、これはひどい!と言われた顎関節症が神様に全ての事を感謝して祈り、神様にいやしを求めて祈る中で、いやされていった体験談です。
心からの願いをもって神様に祈り求めてゆくことが大切です。
1人1人いやしの過程は違うので比較する必要はありません。神様は最善の形で最善の時にいやしてくださいます。求め続けましょう。
そして、神様にいやしを求めると共に必ず病院でお医者様にみていただいてください。
神様は医療も用いられます!
罪ゆえにゆるされる病もあります
十字架を信じて悔い改めの祈りを
神様はいやしをされます。
しかし、特別な御心により、病はゆるされたままで、神様の素晴らしい栄光を現す使命の方もいらっしゃいます。
でも、特別に示されていないなら、いやしを祈り続けてください。主はいやしぬしです。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。”
イザヤ書 53章4~5節
いやしの土台は、イエスキリストの十字架にあります。
まどかさんが、罪について具体的に説明をされています。
手話通訳もあります。
罪とは、法的な犯罪だけではないことが、聖書には書いてあります。
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
「偶像礼拝」、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。
真の神様以外を第一にする事も、
真の神様を信じない事が大きな罪であることがわかります。
罪あるままではきよい神様と交わるけとができません。
そこで神様はイエスキリストを私達の罪の身代わりとして十字架につけられて、あがないを成し遂げてくださいました。
そして、イエスキリストの十字架を信じる者に、永遠のいのちを与えてくださいました。
そして信じて真に罪を悔い改めるとき、
全ての罪は赦されます。これが十字架の恵。
十字架の神の愛
“しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。”
ガラテヤ人への手紙 5章22~23節
これは信じるものが御霊により与えられていく
「御霊の実」
イスラエルの神は救いである、が、
イエスの名前の意味だそうです。
キリストは、油注がれた者、つまり、救い主という称号です。
イエスキリストは、十字架で、罪からのあがない、救いを成し遂げてくださいました。
信じる者には永遠のいのちが与えられます。
牧師のまどかさんです。
みことば
“そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。”
ペテロの手紙 第一 2章24節
我が救い主イエスキリスト
唯一の神様
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