
ゆみちゃん!
ゆみちゃん!
皆様と共に主に向かい賛美しました!
聖書から
“人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”
ローマ人への手紙 10章10節
“私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、
それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。”
コリント人への手紙 第一 15章3~8節
⛪️信じらお祈り
天のお父様、私はあなたを信じます。
今まで信じなかったことを赦してください。
私の全ての罪を赦してください。
イエスキリストの十字架によって、全ての罪が、赦されたことを信じます。
私を神の子としてください。
イエス様、私の心の中に入ってください。
約束通り、私を神の子としてくださったことを感謝します。
私は、救われました。
私の主は、キリストです。
永遠のいのちが与えられました。
感謝いたします。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。
アーメン
あとについて祈って下さい。
しかし、神様のことばは
いのちを与え
力を与え
愛である
イエス様は、当時の社会的な人目や常識を越え
本当に必要な人にお声をかけた
個人的に目を留め声をかけ
非常識であってもお声をかけた
たとえたった一人のためにでも働いてくださる方なのです
そして
イエスキリストの十字架は私達1人1人のためです。
主は、触れてくださるんです。
個人的に触れてくださるんです。
主は一人の人のためにも働かれるんです。
例え非常識であろうと、なかろうとですね。
有り得ないことでした。
これも非常識でした。
しかし、これらのことをしなければならなかったんです。
そうしなければ、このサマリヤの女を救わなければならなかった。
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