



お祈りの時を

決して消えない
神は光である

輝いていた
それは主を見ていたから

“私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。”
詩篇 16篇8節
見るものから私達は影響を受けます。
ダビデは、ゴリヤテではなく、主を見ていた

覆いに遮断させられて、光は見えない。
しかし、人が主に向くなら、、、

光を受けていた
主と交わるときに、主の光に触れる
光の恵を受ける。

主の光が!






私達の目に上手くいく、ということも、上手くいかないと見える事もありますが、
信仰の目で
希望を持って取り組み続ける中必ず実を結ぶ。
神様の栄光あらわされるために、継続していく!
© 2025 ■東京アンテオケ教会 ゴスペルの集い
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