愛(御霊の賜物の中でも特に)と、9つある御霊の賜物、その中でも特に預言を求めなさいと聖書は言っている。

聖書が完成したのは教えの内容が完成したという事で、聖書以外のいろいろな語り方をされるのが終わったということでは無い。

旧約聖書と新約聖書は誤りなき神の言葉。しかし、旧約と新約で違うことが書かれていたら、新約をとる。罪の赦しのために羊や牛を捧げるなら、いまは十字架の贖いを信じることが正しい。預言は間違えたら殺されると考えているなら間違い。旧約と新約で違ってる。イザヤやエレミヤは旧約の預言者。十字架と復活と聖霊降臨の後、教会が出来、賜物が注がれた。預言、癒し、それらは教会のもの。

間違える預言をする者には聖霊がいなかった。新約時代は(正しい預言者でも)預言を吟味しろと言ってる。

教会で気をつけないといけないのは、教会の原則がある。洗礼式と聖餐式。それらが無いなら教会では無く集会。

カトリックは聖餐を重要視している。教会を中心にしている。プロテスタントは信仰を重要視しているが、教会が賜物の土台。

教会が賜物を信じていないなら、教会に賜物の働き開かれていない。教会には本来賜物の働きがあるべきだが、賜物はあるのか?と思っているので、信仰が現れちゃう。