人は不信仰が着物を着て歩いているようなもの。瞬間的に信仰があっても、次の日には無かったり、続かないで、本当にそうかな?

揺らぐ人は、信じているという感覚に立っている。信仰は、ことばに立つのか立たないのか、の自分の意思。

主の御心を行っているなら用いられる。これはハッキリ知らないとダメ。知らない人は、用いて下さいと祈り続ける。