
体験したから、しないからという判断は正しくないこと、聖書を中心に立つ必要があることを語られてます。
2025年6月23日 - 6月25日
体験したから、しないからという判断は正しくないこと、聖書を中心に立つ必要があることを語られてます。
悪霊の問題に対しては、霊的な対応が必要であることが語られてます。
イザヤ木原さんが、賜物は教会にあたえらたもの、吟味をすること、神さまに聞き従う土台があるときに正しく用いられ、賜物を通しての業が起こり続けることが語られてます。
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
コリント人への手紙 第一 14章1節
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 エペソ人への手紙 6章12節
ブラジルの方が宣伝してくれて、患者さんが癒されると期待していたことが語れています。その希望に主が働かれたことが語られてます。
ブラジルではICU に牧師を入れてくれるが、お祈りしたら直って3日目に退院してしまったことが語られてます
癒しが起こっている。信仰の対応があった人が癒されていることが語られてます
イエス様が祈って癒されないパターンは不信仰。故郷の人々は信じなかった。
数祈っている教会が癒しが起こされてくることが語られてます
御霊の賜物の働きを止めてはならないことをパウロ秋元さんが語られてます
© 2025 梅雨の季節の九州を行く 九州宣教の旅
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